VW

1933年9月に アドルフ・ヒトラーが フェルディナント・ポルシェ博士 と対談し、両者は国民車構想を考えていました。
その時にヒトラーは販売価格1台1000マルク以下と言う条件をつけてポルシェ博士に製作を指示、打診しました。
大変厳しい条件を出されるなか、ポルシェ博士はヒトラーに国民車の概要を送ることを約束しました。

ポルシェ博士がヒトラーに送った概要は、

  1. 小型車は、性能や耐久性を犠牲にして、大きさだけ縮めてはならない。むしろ普通の大きさで軽いべきで、これを実現するには新しい生産方法と材料が必要である。
  2. 馬力を落として最高速を犠牲にしてはならない。並みの速度と登坂力をもった実用車でなければならない。
  3. シートを小さくしたり、数を減らしてはならない。並みの居住性と快適さを備えていなければならない。
  4. ボディ形状を一つに限定すべきでない。
  5. 誰にでも整備ができるようにする。

そして1934年6月22日に、ドイツの自動車生産を統括するドイツ自動車工業全国連盟(RDA)が、ポルシェに全面的に協力するという契約をし、月額2万マルクが10ヶ月に渡って支払われることになったが、これは非常に少ない金額であった。

VOLKS WAGENのフォルクスとは「国民の」と言う意味で。ワーゲン(正式発音はヴァーゲン)は車である。つまり、「国民車」という意味なのだ。

日本ではヤナセの取り扱いからJAX、ファーレンを経て現在のVW JAPANの直接販売に販売店も変わっている。しかし、旧型のゴルフなどのパーツはヤナセの港北デポに結構埋まっていたりする。

インプレッション

1968 Beatle TypeI

総排気量1500cc H型

私は17歳のときにカナダで免許を取りました。その時に一番最初に乗った車がこれです。写真は同じ型のモノです。5速シフトの水平対抗RRエンジンは、音だけ聞くとスバルレオーネか?!って感じですが、居住性も悪くなく、きびきびと良く走る良い車でした。ちなみにブラジルのオートバイ「アマゾネス」にはVWのエンジンを使っていたという経緯があります。過酷な状況においても使用できる信頼できるエンジンって事ですね。
足として使う分には申し分ないのですが、いかんせんラゲッジスペースが少ない。フロントボンネットの内部にはスペアタイアと工具を入れるとその他のスペースはほとんどありません。
今でも大事に乗っている方を見かけますが、こういう良い車をいつまでも乗り続けて欲しいなぁと願います。
世界中で愛されたビートルですが、今はニュービートルにそのフォルムを継承させています。女性を中心に人気があるようですが、
昔のビートルを知るものとして、何か異種異形と思うのは私だけでしょうか?

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